先輩医師インタビュー 分野 整形外科
2022年03月29日

東京出身。夢は地域に根差したチームドクター

新潟大学医歯学総合病院嶋俊郎先生東京都出身・平成28年 順天堂大学医学部卒業

医師を志したきっかけを教えてください。

子どものころからサッカーが好きで、小学校はチームに所属し、中学・高校でも強豪校に進んで打ち込んでいました。その間に何度もケガをして整形外科のお世話になったのですが、特に、中3の夏、関東大会の試合中にケガをして、当時のなでしこジャパンのチームドクターを務めていた方に治療してもらって全国大会に出場できたこと、高1で第5中足骨疲労骨折の手術をしてもらったことで、スポーツ医学に興味を持つようになり、医師を目指そうと思いました。

新潟県地域枠の利用を決めたのはなぜですか。

志望校の順天堂大学に東京都と新潟県の地域枠があったんです。東京都の方は、将来の進路が小児科・救急科・産婦人科・へき地勤務かのいずれかという制限があるのに対し、新潟県は縛りがなかったのが理由の一つです。また、両親が新潟市出身で、毎年、家族で帰省していたので新潟は身近な存在でしたから、すんなりと新潟の地域枠を利用しようと決めました。

地域枠制度では在学中、どんな経験をしましたか。

毎年、地域枠で進学した学生全員が集まる夏季実習に参加しました。大学での講義とは全く違う環境で「へえーっ!」の連続でした。一番驚いたのは、初めての実習で手術に立ち合わせてもらったこと。小さな手術でしたが、「手術室に入れさせてもらった!」という経験でモチベーションが上がりました。大学での実習は5・6年ですから、夏季実習で早いうちから現場を経験し、患者さんと触れ合うことはアドバンテージのようなもの。将来の働き方についてのイメージが沸いてきました。

卒業後に新潟にいらしたのですね。

卒業後、新潟大学医歯学総合病院の整形外科に入局しました。新潟大学の整形外科教室は日本で4番目に開かれた歴史のある教室なので、研究の実績が豊富で技量も高いと思います。それに反して、今、医局の人数は新潟県の広さを考えると必ずしも多いとは言えないので一人ひとりの守備範囲が広くなり、「これだけ」ではなく、自分の専門に関連した分野も含めた幅広い研究ができます。

これまでは、大学病院と佐渡、新発田、長岡の拠点病院で働いてきましたが、赴任先については新潟県や医局と話し合い、だいぶ希望を聞いてもらってきました。JA新潟厚生連佐渡病院は規模も設備も立派で、「新潟でいう離島は、いわゆる離島とは違う」と驚きました。今は、これから3年間の指定勤務後にどういう働き方をしようか考え始めたところです。

整形外科医としてのやりがいを教えてください。

手術で劇的に回復するケガや疾患から、内科的な治療を要する疾患まで、整形外科が関わる範囲は広く、どこを専門にするかでやりがいは変わるとは思いますが、治療によって動けなかった人が動けるようになる、歩けるようになって退院していく姿を見るのはうれしいです。

医療ではすべての患者さんを治療前よりも良い状態にすることを目指しますが、特にスポーツ選手ではさらにより良い状態にしなければならないので、プレッシャーがかかりますが、それも含めてやりがい。初志貫徹でスポーツ医療を目指していこうと思います。

医師を目指す方へメッセージをいただけますか。

地域枠を利用したから、できなかったことや叶わなかったことはこれまでに特にありませんでした。勤務先はへき地ばかりではありませんし、赴任期間は1年程度で変わります。むしろ首都圏では経験できないことができ、医師としての幅が広がるというメリットを感じています。もちろん学費面でのメリットも大きいです。

卒業後に新潟県で働いていこうと思えるかどうかが、ただ一つの分岐点です。僕はスポーツ医学という目標があったから、Jリーグのチームを持つ新潟県はとっても魅力的でした。将来的には、アルビレックス新潟のチ―ムドクターとしてサッカーに関わってきたいと思いっています。

(所属等は執筆時現在です。)