あのドクターの素顔 分野 耳鼻咽喉科
2014年02月26日

髙橋姿 先生

新潟大学

(平成26年2月26日インタビュー)

お祝いの胡蝶蘭がたくさん飾られた華やかなお部屋で迎えてくださった、新潟大学第15代学長に就任されたばかりの髙橋姿先生。医学生にも研修医にも人気の髙橋先生の素顔に迫るインタビュー!

背中から朝日が昇る

髙橋姿先生

学長に就任されたばかりですが、いかがですか?

髙橋:寂しいですね。医者ではなくなって(笑)。医師免許が何の効力もなくなる仕事ですからね。新潟大学医歯学総合病院の耳鼻咽喉科の患者さんの予約が1年位先まであるのですが、学長就任が決まってからずっと何ヶ月もそれぞれの患者さんとの最後の外来というのをやってきて、今のところ8月5日がファイナルの外来です。患者さんも定年まであと2年ですね、という感じで付き合ってきたのですが、最後の外来が突然来ちゃったので…。さようなら、さようなら、ばっかり言っているから、看護師さんからも「暗い外来ですね」なんて言われて(笑)。患者さんと医者との関係と言っても、10年、20年、30年の付き合いのある方もいますので、相手も僕も悲しい気持ちはありますね。

医学部のある旭町キャンパスから、学長に就任されて五十嵐キャンパスにおいでなりましたが、学生時代の五十嵐キャンパスの思い出はありますか?

髙橋:僕が新潟大学に入学した昭和45年に、五十嵐キャンパスがオープンしました。教養の1、2年生の時は、上級生がいない五十嵐キャンパスで過ごしました。その当時は、五十嵐砂漠(笑)!すいか畑(笑)!関東から来た人間が多かったので、酔っぱらって朝日を見に行こうと海を見に行ったら、(日本海側なので)背中から(陸側から)朝日が上がって来た…ということも(笑)。学生時代はスキー部でした。今年はできなかったけれど、当時の(すべての学部合同の)全学スキー部の仲間で2年に1回集まります。

群馬県ご出身とのことですが、新潟大学の印象はいかがでしたか?

髙橋:ちょっと、こんな田舎に来ちゃったという感じはありました(笑)。でも、群馬から来たので、五十嵐キャンパスの毎日海が見える生活に満足していました。木も今のように大きくなかったから、すぐ海も見えました。実は、大学は田舎でもいいと思っていました。くさいのであまり言いたくないのだけれど…小説の『アルト・ハイデルベルク』を読んで、田舎の学園都市のハイデルベルクに憧れていたので、気にはなりませんでした。「遠き国よりはるばると、ネッカー川のなつかしき…」

後を継がずに何になる?

医師を目指すきっかけは何ですか?

髙橋:数学や物理が好きで理科系だったので、高校卒業時にはビルを造ったり、ダムを造ったりする仕事をしたいと思い工学部を志望していました。昭和44年、東大紛争で東京大学の入試が中止になった年に東北大学の工学部を受験しましたが、受験生が多くて(笑)、浪人しました。浪人中は東京の予備校の寮に入ったのですが、医学部志望者がいっぱいいて、いろいろ話をしていたら、医者は人間を相手にする仕事だということがわかりました。人とうまく合わない事があまり多くないタイプの人間だったから、医者に向いているかな…と思って受験しました。メルセデス乗れるかな…とも思いましたけれど(笑)。でも、今はトヨタ乗っていますが(笑)。

医学部を受験したいと言った時、ご両親どうおっしゃいましたか?

髙橋:母は戦前看護師をしていましたが、医者になれと一言も言った事はありませんでした。医学部志望に変えたいと思うと話したら、「お前、それはいいよ、私は勧めるよ」と言ってくれました。患者さんに感謝されるいい仕事だと思っていたそうです。なんで言ってくれなかったのか聞くと、「お父さんが医者が嫌いだから…」と。父が高校の数学の教師だったのですが、学校健診で生徒が列を乱したり私語をしたり騒がしくしているとわがままな医者が帰ってしまう…でも学校健診をやらない訳にはいかないので、医者に頭を下げて頼みに行くと、生意気な医者が現場を知らないのに教育論をぶつ…それを何年も我慢していました。僕はその気持がよくわかります。基本的に怒らない父でしたが、医者になりたいと話をしてみたら、血の気が引いたのが分かりました。…しばらく黙って、好きなようにすればいいさ、と。最終的には喜んでくれましたが、僕は期待どおりいかなかった…。

お父様にはどんな思い出がありますか?

髙橋:教育熱心な父だったので、風呂に一緒に入るとタイルで面積の出し方を教えてくれたり、曇りガラスに数式を書いて微分・積分教えてくれたりしました。高校の先生など教育者にもなろうと思ったこともあったのですが…。でも、今、教員でもありますね(笑)。

ご自身のお子様には職業について何かお話されたことはありますか?

髙橋:3人いるのですが、誰も医者にはならなかったですね。「周りからお父さんが医者だから医者になるんでしょ!?と言われるかもしれないけれど、そういう事を気にしなくていいから。お父さんはおじいちゃんの後を継いでいません、だから、君たちも僕の後を目指さなくていいです。」と話しました。こんなに効果あるとは思いませんでした(笑)。1人くらい医者になるかと思いましたが(笑)。長男はフリーのデザイナーで、芸能人の衣装やダンサーの衣装をデザインしています。次男は、おじいちゃんの後を継いで高校の教員になりました。3番目の娘は大学生で、工学部にいます。リケジョですね(笑)。娘に「新潟大学の医学部を受けてくれないかな?そうすると受験日に保護者は校内に入っちゃいけないから、パパに3日位お休みをくれない?」と言ったら、「同じ大学に入学するとパパがしょっちゅう教室に顔出すから嫌!」って(笑)。

「お母さんはお医者さんです(・・)」と言えるように

3人のお子さんを育てていらっしゃる耳鼻咽喉科の女性医師の先生が、髙橋先生から「子どもにお母さんが医師として頑張っている姿を見せた方がいい」と言われたとおっしゃっていましたが、そうお考えになるきっかけや経験などがあったのですか?

髙橋:お袋が看護師で、頑張る姿を見て来たからかな~。僕は、女性医師をすごいと思っています。子育てもして、仕事も頑張っている…尊敬もしています。逆の女性医師もいっぱい見て来ました。子どもは可愛いし、大切な存在だけれど、いずれ、子離れ、親離れした時に自立した人間として何をやっているか…?主婦やパートの女性医師がたくさんいましたが、子どもたちが親離れした時に、「お母さんはお医者さんです」と言えるようになってほしいと思っています。元々素質を持っているのに、「お母さんはお医者さんだった」と言われるのはあまりにももったいない。社会的にももったいない。女性医師が仕事を続ける為に、ほんの少しだけ応援してあげればいいと思っています。例えば子どもが熱を出して来られなくなった日は、誰かがバックアップすればいい。我々が学会に行く時だって、誰かがバックアップしているのだから(笑)。

医学生や研修医の皆さんにメッセージはありますか?

髙橋:医師は面白い仕事、楽しい仕事、やりがいのある仕事だなあと思っています。何より自分の工夫や努力が形に出やすい仕事です。患者さんのために努力した事が報われ、感謝もされます。だから、医学部を卒業したてのビギナーでも、大して努力しなくても報われるので、気を付けてほしい。5年後、30歳位で、壁があるので、若いうちにそれを乗り越える努力をしてほしいと思っています。乗り越えるためにいいロールモデルを探して、初めは真似をすることから始めて、教えてもらう。そういう5~10年上の先輩が必ずいるはずです。第1の壁、第2の壁を乗り越えると、その後の壁を乗り越える力がつくと思います。気がつくと努力しない人との差が付いているはずです。それから、自分の力を過小評価しないでほしい。学会でも必ず質問するように言っています。質問することは、発表者だけではなく、会場にいる専門の先生にアピールすることにもなります。自分を売り出してほしいと思います。

(所属等は執筆時現在です。)