Relay essay
修了生によるリレーエッセイ
#01「普通の医者」の再発見

Profile
山本 泰雅 医師2022年度生
医療法人山本記念会山本病院
「なんかさ、浦佐の駅着くと帰ってきたなってほっとせん?」研修医の頃、同期に言われた言葉である。浦佐駅は、東京駅から新幹線で90分ほどの位置にある。新幹線の隣駅は川端康成の小説『雪国』の舞台の越後湯沢で、冬はスキーと温泉客で賑わう。一方浦佐は、静かにしんしんと雪の降る土地で、地域の人々は田植えや畑についてあれこれ教えてくれるなど、よそ者である私にも温かであった。
私は山梨県の出身で、現在の東京科学大学を卒業後、新潟県の魚沼基幹病院で臨床研修を行った。現在は精神科の専攻医として働いている。
医学部5,6年生の頃は、研究室配属の期間なども終え、自分が将来したいことや向いていることを改めて考え直す時期でもあり、悶々とした日々を過ごしていた。当時の自分は生意気にも、普通の医者ではつまらないと思っていた。「医者になろうとしている私たちは愚かだ」と解剖学の試験直前に隣の同級生が呟いていたことはあったが、愚かにも医者になろうとした自分は、さらに愚かなことに、普通の医者を普通にするのがどれくらい難しいかはまだ知らなかったのである。一方で、普通でないこととは具体的に何か見当はついていなかった。考えてばかりで臨床研修病院を探すのも遅く、6年生になって初めて見学に行くありさまであった。今となれば、自分に必要だったのは、どうすればやりたいことを見つけることができるかを知ることと、どうやったらしたいことを実現できるかを考えることの2つだったと思う。
放射線科の本には、「人は、探しているものしか見つけないし、知っているものしか探さない。」と書いてあった(Learning Radiology: Recognizing the Basics. William Herring. Elsevier Health Sciences, 2011.)。やりたいことは直接間接に経験することでしか見つからない。直接体験ならば、今まで過ごしてきた地域やコミュニティを抜けて新しいところに飛び込んでいくことがいいだろう。間接的に体験するなら、他の人の話や生き様に触れることも大切である。
そして実現には、次の4つが必要である。1つ目、現在の状況を評価すること。2つ目、実現したいことを阻害しているボトルネックを特定すること。3つ目、それを乗り越える解決の仕方を考えること。4つ目、周囲を巻き込んでそれを実行していくこと。
もちろん当時の自分はこのように言語化できていなかったと思うが、その頃の自分は、知っているものが少ないということがボトルネックだったと今は思う。「普通にやっていたらつまらない」と思ってしまう自分は、新潟でイノベーター育成臨床研修コースでの研修を行うことを選んだ。縁のない地域に飛び込み、全く知らないコミュニティーの中で、講師陣やゲストの講義を受けていく中で、病院で研修だけをしていたら知らなかったであろう新しい世界を知った。
そしてプロジェクトワークで自分が当事者となり活動を進める中で自身の内省も深まった。私は他の履修生たちと外来診療効率化プロジェクトを行なった。医療資源が限られる地域でも持続可能な医療提供体制を作っていくという、自身のぼんやりとした関心や考察が、少し具体化された機会でもあった。
プロジェクトワークでは、我々研修医側からの提案や報告に対し、スーパーバイザーから「イシューの作り込みが甘い」「できることじゃなくてやらないといけないことをやってくれ」などと本質的な指摘を何度も受けた。こうして訓練される問題解決能力は、昨今よく見聞きするコンサル云々というものとは関係なく、臨床において、患者を治療していくためにも必要だと思っている。2年間の臨床研修を終えて、精神科の専攻医として働くようになってからも、ここでの経験は生きている。例えば、「イシューの作り込みが甘い」、つまり診断や見立てが甘いと治療は難航しやすい。診断や病状評価の精緻化が正確にできているか常に考えるようになった。また、患者の健康、利益や権利を守るために、労力をかけてでも必要な、本質的なものは何かを考える姿勢が芽生えたと思う。もちろん治療協力を得られるかなどに、コースワークで学んだ交渉学の知識が役に立つこともある。しかし、そうした教科書的な知識以上に、プロジェクトワークを通して講師陣からいただいた核心的な指摘は、自分の臨床姿勢を見つめ直し、「普通の医者」に近づいていくのにも役に立つものであった。
キャリアの初期である研修医の時にこれらを経験できたことは貴重だった。講師や、病院の外でも積極的に活動する他の履修生との出会いも、このプログラムがなければ得られないものであった。他の履修生や講師陣、そして、新潟に縁もゆかりもない自分にも優しくしてくれた、職場、地域の人々を思い出すと、まだ臨床医として未熟な部分がたくさんあるが、自分も誰かの役に立てるようになりたいと思わせてくれる。数年後に研修医になる先生たちにも、きっと新潟が多くのことを教えてくれると思う。